国内企業が実践するスキルベース人事の始め方 ― 人財不足時代を乗り切る新たなアプローチ

スキルベース人事で人財不足時代を乗り切る。学歴や職歴ではなく、一人ひとりが持つスキルを可視化し、採用・配置・育成に活用することで組織の競争力を高める新しいアプローチを解説。政府の動向から導入ステップ、成功事例まで詳しくご紹介します。

A photo of young woman sitting at a desk in front of her laptop with large windows behind her.

「人手不足」と言えば、以前は特定業種の課題でした。しかし今や国内における少子高齢化が進み、あらゆる業界が人財確保の難しさに直面しています。また、技術革新のスピードが増す中で、企業はこれまで以上に多様なスキルを持つ人材の発掘・活用を求められています。特に、AI やデジタル化の進展は、従来の職務設計や採用の前提を根底から揺るがしつつあります。

こうした変化の中で、学歴や職歴といった静的な情報に基づく人事判断では、個々の人財が本来持つ潜在力を見極めることが難しくなっています。Workdayが実施した「The Global State of Skills(スキルの実態について)」によるとでは、多くの経営者が「スキルの見えにくさが、組織の成長機会を阻んでいる」と回答しています。従来の履歴中心の人事では、実際に何ができる人なのかが分からず、採用ミスマッチや育成の非効率につながっているのです。

そのため注目されているのが「スキルベース人事」です。これは、人の能力をより正確に把握し、適材適所を実現するための新しい考え方です。単なる制度改革ではなく、変化の激しい時代において、企業が持続的に競争力を保つための経営戦略そのものと言えます。

スキルベース人事とは何か

スキルベース人事とは、社員一人ひとりが持つスキルを中心に、人事全体の仕組みを再設計する考え方です。学歴や勤続年数ではなく、「どんなスキルを持ち、どのように発揮できるか」という観点から、採用、配置、育成、評価を実施する仕組みです。

従来のジョブベース型人事は、職務記述書 (ジョブディスクリプション) に沿って人を配置することを重視してきました。しかし実際には、同じ職務でも必要なスキルや成果を上げる方法は人によって異なります。スキルベース人事では、その多様性を前提に、スキルを「企業の共通言語」として整備します。これにより、部門を超えて人財を柔軟に活用できるようになります。

また、スキルベース人事は、単なるスキルの棚卸しではありません。採用、育成、評価、報酬をつなげる戦略と言えます。個人のキャリア形成と組織の成長を一致させるための新たな基盤であり、従来の制度を補うものではなく、再定義するものです。スキルの可視化を通じて、組織全体の知のネットワークを活性化し、変化への適応力を高めることが目的です。

スキルベース人事がもたらす効果

スキルベース人事を導入することで、まず期待できるのは採用効率の向上です。職務経歴中心の採用では見過ごされていたような人財を発掘できるようになり、多様なバックグラウンドを持つ人が活躍できる環境を整えられます。スキルを基準にすれば、職歴や年齢といった形式的な要素に左右されず、能力そのものを評価できます。結果として、採用の公平性が高まり、組織の多様性が促進されます。

たとえば、IT 業界では、職務経歴よりも、プログラミング言語、データ分析、 UI/UX 設計といったスキルを基準にすることで、フリーランスや副業などで高いスキルを磨いた人財を正当に評価できるようになります。これにより、従来の履歴書や職歴だけでは見えにくかった優秀な人財を採用し、組織に新しい視点や発想を取り込むことが可能になります。

さらに、人財の流動性を促進し、個々の成長機会を広げるとともに、組織の変化対応力を高めます。社内で必要とされるスキルが明確になれば、社員は自分のキャリアの方向性を主体的に考えやすくなります。これにより、従業員エンゲージメントの向上や離職率の低下といった効果も期待できます。

経営面でも、スキルデータを分析することで、将来の人財戦略をより精緻に立案できます。新規事業に必要なスキルを社内でどの程度確保できているのか、どの領域を外部採用で補うべきかといった判断がデータに基づいて下せるようになります。これは、感覚的な人事から脱却し、データドリブンな経営を実現する大きな一歩です。

国も「スキルベース」を後押し

経済産業省も、「Society5.0 時代のデジタル人材育成に関する検討会」などを開催し、「スキルベース組織」や「スキルの可視化」を重要なテーマとして位置づけています。検討会では、DX やデジタル人財の確保を進めるうえで、社員一人ひとりのスキルを正確に把握し、可視化して活用することが不可欠であると指摘されています。

従来のように職務や年次、役職を前提とする人事制度では、変化の速い時代に必要な人財を柔軟に配置・育成することが難しくなっています。こうした背景から、政府レベルでもスキルを起点にした人財マネジメントへの転換が求められており、企業の DX 推進や組織変革の基盤として「スキルの見える化」が政策的にも注目され始めています。

このように、スキルベースの考え方は、もはや一部の先進企業だけの取り組みではなく、国の成長戦略の文脈にも位置づけられつつあります。

導入にあたっての課題と注意点

スキルベース人事の導入にはいくつかの課題もあります。多くの企業が最初に直面するのは「スキルデータの整備不足」です。スキル定義が曖昧なままでは、可視化の精度が上がらず、分析や活用が困難になります。導入初期には、社内で共通のスキル分類を設計し、整合性を保つ仕組みづくりが欠かせません。

次に、既存の等級制度や評価制度との整合です。スキルベース人事は従来の人事制度と対立するものではありませんが、評価軸が増えることで一時的に混乱を招くことがあります。既存制度とどう整合させるかを慎重に設計する必要があります。

また、AI を活用してスキル分析を行う場合には、倫理面への配慮も不可欠です。AI が判断に関与する以上、バイアス (偏り) や誤認識のリスクを軽視してはなりません。候補者や社員への説明責任を果たすために、AI の仕組みを透明化し、最終判断は人間が行うという原則を明確にすることが求められます。

さらに、文化的な事情も関わってきます。日本企業では「年次」や「職位」を重視する慣習が根強く、スキルを基準にする発想が浸透するまでに時間を要します。制度だけを整えても、人がそれを受け入れなければ機能しません。制度導入と並行して、マネジメント層の理解と現場教育を進めることが成功の鍵になります。

スキルベース人事を始めるステップ

では、実際にどのようにスキルベース人事を始めればよいのでしょうか。ポイントは、すべてを一度に変えようとしないことです。段階的に仕組みを整えることが、現実的で持続的な変革につながります。

短期的には現状把握から

まずは社内にどのようなスキルが存在するのかを可視化することが第一歩です。職種や部署ごとに必要スキルを整理し、スキルカタログを作成します。社員自身がスキルを登録・更新できる仕組みを設けると、データの鮮度を保ちやすくなります。

中期的にはスキルデータを人事プロセスに組み込む

採用時のマッチングや、研修プログラムの設計にスキルデータを活用することで、より精度の高い配置・育成が可能になります。管理職が部下のスキルを把握できるようにすることで、成長支援の質も高まります。

長期的には経営戦略とスキルマネジメントを連動

どのスキルが将来の競争力に直結するのかを特定し、社内外からそのスキルを計画的に育成・確保していく体制を整えます。スキルを軸とした人財ポートフォリオを構築し、事業戦略に即応できる人財配置を可能にすることが理想です。

成功事例と学び

スキルを軸に組織を設計する動きは、職務中心の人事からの大きな転換点となっています。Deloitte が公開している報告書「The Skills-Based Organization」を参照すると、スキルを基準に採用・評価・配置・報酬を行うことで、人財をより柔軟に活用でき、事業の変化に迅速に対応できるとしています。

職務という枠に縛られず、社員を「スキルと能力を持つ個人」として捉えることで、採用精度の向上や社内異動の活性化、プロジェクト適合度の改善など、多面的な成果が得られると指摘されています。

スキルベース人事が拓く未来

スキルベース人事は、人財不足を補うための一時的な施策ではありません。スキルを共通言語として、組織と個人の関係を再定義する試みです。人を固定的な「職務」に当てはめるのではなく、スキルという動的な資産を中心に据えることで、変化の時代に強い組織をつくることができます。

スキルを可視化し、データとして扱うことは、単に効率を高めるためではなく、人の可能性を最大化するための手段です。経営が求めるスキルと、個人が持つスキルの接点を見出すことができれば、企業と社員の双方にとって持続的な成長の道が開かれます。

これからの時代、スキルを起点にした人事戦略は、あらゆる企業にとって避けて通れないテーマとなるでしょう。その第一歩は、現状のスキルを可視化し、「人ができること」に正面から向き合うことです。そこから、人財戦略の新たなステージが見えてくるはずです。

さらに読む